アップルは病気療養中だったスティーブ・ジョブズ会長(56)が5日死去したと発表した。
アップルの取締役会はジョブズ氏の死去について声明を発表し、「スティーブの才能、熱意、エネルギーは、すべての人々の生活を豊かにし、改善するための数限りないイノベーションの源泉となってきた。スティーブのおかけで、世界は計り知れないほど豊かになった」述べ、ジョブズ氏の功績を称えた。
養父母に育てられたジョブズ氏は、大学を中退し、1970年代終盤に友人のスティーブ・ウォズニアック氏と共に「アップル・コンピューター」社を設立。すぐに「AppleI」コンピューターを発売した。
アップルを成功に導いたのは「AppleII 」で、同社は萌芽期にあったパソコン業界で急成長。1980年には新規株式公開(IPO)を果たした。
ジョブス氏はIPOを通じて巨額の富を手にした後も「マッキントッシュ」で大成功を収めたが、やがて自身が創設したアップルの経営陣や取締役会との関係が悪化。権限の大半を奪われ、1985年には解任された。
1997年当時、APPLEは業績悪化により株価が下落していましたが、その製品が消えるとは思ってもいませんでした。私がその思いで株に興味を持って1株20ドルの時に100万円分の株を保有していましたが、2000年に2倍になった時に売却していました。未来を予測できない若い自分でしたが、いまでは1株400ドルにもなっていることは、驚きよりもAPPLEの製品や復帰後のジョブス氏の活躍を見ると当然のことと思え、いまは現在の株の価値などどうでもいい気持ちです。
アップルの業績はその後下降線をたどったが、ジョブズ氏がアップル退社後に設立した「NeXT」社をアップルが1997年に買収したことを受け、アップルに復帰。ジョブズ氏は同年にアップルの暫定CEOに就任し、iMacを発売し2000年には肩書から「暫定」が外され、名実ともにアップルのトップとなった。
この時期にあるイノベーションが、ジョブス氏の手を離れたところで生まれていたのです。
今では当たり前のように誰もがインターネットを使い、その利便性を享受していますが、そもそもこのインターネットの仕組みは、1991年8月6日に欧州原子核研究機構(CERN)で誕生したのです。この
世界発のインターネットを生み出したサーバーこそ、ジョブス氏が生み出したNeXTコンピュータだったのです!ジョブス氏がAPPLEを追われ、そしてNeXTコンピュータを設立していなかったら?インターネットは誕生していなかった!?すべての偶然が重なり世界を変えたのかもしれません。
36歳の物理学者、ティム・バーナーズ・リー氏は、世界初のウェブサイトをNeXTコンピュータで設計を行った。ティム・バーナーズリー氏は、発明したハイパーテキスト・システムを考案し、URL、HTTP、HTMLの公開に際しては社会全体への貢献を第一に考え、特許を取得せず使用料も徴収しなかった。
ジョブズ氏は同時に自ら買収した「Pixar」社を通じてコンピューターアニメーション分野に革命をもたらし、Pixar社をDisneyへ売却したことでDisney最大の個人株主として、Disney社の取締役にも就任していた。そして現代のテクノロジー世界を劇的に変えたのは、2007年に発表した携帯電話の「iPhone」だった。それまでの通話機能優先の携帯電話を再発見させて、スマートフォンの時代を切り開いた功績を誰も忘れることは無いでしょう。
アップルによると、ジョブズ氏はカリフォルニア州パロアルトで、妻や近親者に囲まれて息を引き取った。息を引き取った際の詳細については、それ以上明らかにされていない。
ジョブズ氏死去のニュースを受け、さまざまな著名人から追悼の言葉が寄せられている。
<オバマ米大統領>
スティーブは米国最高のイノベーターの1人だった。勇気があり、人と違う考えができた。大胆な人物で、自分が世界を変えられると信じることができた。そして、それを成し遂げる才能があった。世界はビジョンのある1人の人物を失った。世界中の多くの人がスティーブの発明した機器で彼の死を知ったという事実ほど、スティーブの成功を如実に物語るものはないのではないか。
<米マイクロソフトの共同創業者ビル・ゲイツ氏>
「Steve Jobs 氏の死を知り、私は悲しみに包まれています。Melinda と私は、Steve の家族、友人、仕事を通じて Steve と接点のあった方たちすべてに心からの哀悼の意を表します。
Steve と私は30年近く前に知り合い、同業者として、競合相手として、また友人として人生の道のりの半分以上を過ごしてきました。
Steve のように今後何世代にもわたって深い影響を与え続ける人物には、なかなか出会うことはありません。
幸運にも彼とともに働くことができた私たちにとって、それは考えられないほど光栄なことでした。私は Steve がいなくなってとても寂しくなるでしょう」
<米フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEO>
スティーブ、指導者そして友人でいてくれてありがとう。世界を変えられることを見せてくれてありがとう。寂しくなる。
<ソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長兼CEO>
デジタル時代の先を照らしていた光は失われたが、スティーブのイノベーションや独創性は、幾世代にも渡って、夢や理想を抱く人々の刺激となり続けるだろう。
<米ウォルト・ディズニーのボブ・アイガーCEO>
スティーブ・ジョブズは偉大なる友人であり、信頼のおけるアドバイザーだった。彼の功績は、彼が作り出した製品や彼が構築したビジネスをはるかに超えて残っていくだろう。それは、彼がインスピレーションを与えた多くの人々であり、彼が変えた生活、彼が定義づけたカルチャーだ。スティーブは、とことん創造的で、時代を決定づける想像力に富んだまさに「オリジナル」だった。
<米カリフォルニア州前知事のアーノルド・シュワルツェネッガー氏>
スティーブは人生でカリフォルニアドリームを体現していた。世界を変え、われわれすべてにインスピレーションを与えた。
<ネットスケープの創業者マーク・アンドリーセン氏>
スティーブは一流の中の一流だった。モーツァルトやピカソのように、不世出の存在となるだろう。
<米グーグルのラリー・ペイジCEO、グーグルプラスで>
彼は素晴らしい功績と驚くべき才能を持った偉大な人物だった。彼はいつも、考えるべきことを極めて少ない言葉であらかじめ指摘することができるように見えた。何よりもユーザー体験を重視していた彼の姿勢は、私にとって常に刺激になる。
<米ピクサーのジョン・ラセター製作責任者とエド・キャットムル社長>
スティーブは、われわれより先に、そしてあらゆる人の創造を越えてピクサーの可能性を理解していた。われわれにチャンスを見い出し、コンピューターアニメ映画を製作するという私たちのばかげた夢を信じてくれた。彼がいつも言っていたことの1つが「素晴らしいものにしよう」だった。彼はピクサーが自分たちのやり方を見い出したきっかけであり、彼の強さ、誠実さ、人生に対する愛情は、われわれすべてを良い人間にしてくれた。彼は永遠にピクサーのDNAの一部だ。
ソフトバンクモバイルは10月6日、孫正義社長のコメントを発表した。
「とても悲しい。スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダ・ヴィンチを並び称する事であろう。彼の偉業は、永遠に輝き続ける」と同氏は述べている。
スティーブ・ジョブズ氏と親交があったソフトバンクの孫正義社長は6日、米アップルのティム・クック最高経営責任者も直前までジョブズ氏の回復を信じた様子だったことを明らかにした。
孫社長はiPhone4Sの発表にあわせ発表当日の4日、米国でAPPLE社新社長のクック氏と2人で会談。クック氏は別れ際に「これから急いでスティーブに会いに行く。呼ばれているからね。いつまでもボスだからね」と、回復を信じた様子だったという。「最近は会社に来ていないけど、製品に細かく指示があり、元気すぎて困る」と冗談ぽく語っていたという。
2005年、ジョブズ氏は、「自分の命が限られれていることがビジョンを生む原動力になっている」と述べていた。
自分がもうすぐ死ぬということを自覚しておくことは、これまで私が出会ってきた中で、人生で大きな決断を下す手助けになる最も重要な道具だ。なぜなら、ほぼすべてのこと、すべての外部からの期待、あらゆるプライド、恥や失敗に対するいかなる恐れも、死の恐怖を前にすれば消え去り、本当に重要なものだけが残るからだ。いつか死ぬということを覚えておくのは、自分が知る限り、何かを失うと考えてしまう落とし穴を避ける最善の方法だ。あなたはすでに裸だ。自分の心に従わない理由はない。
時間は限られているのだから、ほかの誰かの人生を生きることでそれを無駄にしてはいけない。他人の考えの結果に従って生きるというドグマにはまってはいけない。自分の内なる声を他人の意見でかき消されないようにしよう。(2005年 スタンフォード大学での学位授与式で)
イノベーションについて
イノベーションは、新しいアイデアについて廊下で立ち話する人や、夜の10時半に電話をかけ合うような人たちから出てくる。誰も見たことがない最高なものを思い付いたと考える誰かが、そのアイデアについて他の人の意見も聞きたいと呼び掛けて集まった6人だけの急なミーティングだったりもする。そして、間違った方向に向いていないか、やり過ぎていないかを確かめるため、1000の項目にノーと言うことから生まれる。(2004年 ビジネスウィーク誌でのインタビュー
デザインとは
多くの人のボキャブラリーでは、デザインは化粧板を意味する。それは内装であり、カーテンやソファーの素材だ。しかし私にとっては全く違う。デザインとは、人間が作った創造物の基本となる魂であり、最終的に製品やサービスの連続的な外層で表現されるものだ。(2000年 フォーチュン誌でのインタビュー)
マッキントッシュ誕生について
何かに根を詰めたことがあるとは思っていないが、マッキントッシュの開発は最も素晴らしい経験だった。関わったほぼすべての人がそう言うだろう。最後には誰1人としてマックを手放したくなかった。一度自分たちの手を離れたら、2度と自分たちのものではなくなると知っていたかのようだった。最後に株主総会で披露したとき、会場の全員が5分間のスタンディングオベーションをしてくれた。自分が感動したのは、マックチームの面々が前列の方にいるのが見えたことだ。本当に完成させたというのを誰1人信じられないようだった。全員が泣き始めた。(1995年 プレイボーイ誌でのインタビュー)
アップルはホームページにジョブズ氏の白黒写真を全面に掲げ、追悼の意を表している。
天才が伝説となってしまいました。そして「One More Thing」は、もう聞けません。