「ウォークマン」誕生のきっかけは名誉会長のリクエスト
世界を席巻した「ウォークマン」の誕生にはさまざまなストーリーが流布しているが、ソニー創立50周年記念誌『源流』によれば、ウォークマンは当時名誉会長だった井深大の要望から誕生した。
ソニーは昭和55(1978)年に、教科書サイズの小型ステレオ録音機「TC|D5」を登場させていたが、携帯するにはまだ重く、値段も10万前後と高価だった。井深はこれにヘッドホンを付けたものを海外出張に持って行っては、飛行機の中で音楽を聴いていたが、その重さには閉口。「プレスマンに再生だけでいいからステレオ回路を入れたのを作ってくれんかな」と社内の技術者に持ちかけた。「プレスマン」とは、昭和54(1977)年に発売していたモノラルタイプの、手のひらに乗るくらい小さなテープレコーダーである。
要望を受けたテープレコーダー事業部では、早速プレスマンから録音機能を取り去り、ステレオで音を聴けるように改造し、ヘッドホンを取り付けた改造品を作り上げた。これがウォークマンの原形である。
歩きながら聴けるステレオ
井深はすっかりこれを気に入って、大きなヘッドフォンをつけたまま盛田昭夫(当時会長)の部屋に持って行くと、「これ聴いてみてくれんかな。歩きながら聴けるステレオのカセットプレーヤーがあったらいいと思うんだが」と盛田に言った。
試しに聴いてみた盛田も同じ意見だった。「確かにスピーカーで聴くのとは違った良さがある。しかも持ち運びができて、自分一人で聴ける。これはひょっとすると……」。盛田のビジネスの勘が働いていた。
ソニー・ウォークマン猿が出演したCMとして、印象に残る名作と言われた、ソニー・ウォークマンの1987年CMで、湖畔で音楽に聴き入る「瞑想」シーンで有名になった初代チョロ松が14日、29歳8カ月で死んだ。CMに出演したのは20年前、29歳8か月で、人間なら100歳近い大往生となった。このCMは2000年 「20世紀の殿堂入りCM」にウォークマンCMが選出されている。
■ソニー・ウォークマン聴湖畔でたたずむ。20年前CM出演 猿 チョロ松 逝く。
最初は反対されたウォークマン
昭和56(1979)年7月、プレスマンを改造したウォークマン第1号は井深と盛田の絶大なる支持を得て発売された。
しかしウォークマンの発売には、井深と盛田以外の大半が難色を示していた。録音機能のないものが売れるのか、というのがその意見。それに対して盛田は、「自分の首をかけてもやる決意だ」とまで言ったという。
当時70歳を過ぎていた井深と60歳に近かった盛田。この二人の、自分の年齢や、過去の偉業にとらわれることのない、好奇心に満ちあふれた感性がウォークマンというヒット商品を生み出したのだ。
ところでウォークマンというネーミングは、若いスタッフのアイデアであった。当時スーパーマンが流行していたことと、基になった機種がプレスマンだったことから思いついたという。屋外に持ち出して、歩きながら楽しむという意味も含まれていた。
「ウォークマン」は正しい英語として認定
しかし、ウォークマンは和製英語である。そこで海外の販売会社は、このネーミングを使いたくないと言ってきた。そしてアメリカでは「サウンドアバウト」、イギリスでは「ストウアウエイ」、オーストラリアでは「フリースタイル」という名前を付けて売り出してしまうのだ。
しかし、日本でのウォークマンの人気が高まり、来日した外国人がおみやげとして買っていくようになると、いつしかウォークマンのネーミングは海外でも認知されるようになっていった。
そこで盛田は「こうなったら世界中でウォークマンという名称を使おう」と決断し、全世界で名称は「ウォークマン」に統一されることになる。
そして1986年にはイギリスの権威ある英語辞典『Oxford English Dictionary』にも「ウォークマン」は掲載され、正しい英語として認定されるまでになった。
カセット型は1979年7月に第1号機が発売されて以降、今年3月末までに世界で約2億2千万台が売れた。CD、MD、メモリーへと記録媒体を変えてウォークマンが「進化」し、サイズも小さくなるなか、カセット型を求める層は、昔からカセットになじみ、新しい型には乗り換えない年配の消費者に限られていたとみられる。
ソニーは今後もCD型、MD型、メモリー型は販売する。カセット型は今もアジア、中近東などで根強い需要があり、中国で生産を続けるという。
■個人で音楽を楽しむ文化を創造した“ウォークマン”