佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。
沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。
文書は2通作成され、1通は日本の首相官邸、もう1通は米国のホワイトハウスで保管するとしてある。佐藤氏は首相退陣後、自宅の書斎に私蔵していた。 密約は69年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、両首脳がひそかに署名した「合意議事録」。返還交渉で佐藤氏の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に著書でその草案の写真とともに明らかにした。今回の文書は文末にフルネームで署名があり、2通作成され、日米首脳がそれぞれ保管するとした本文の日本保管分とみられる。若泉氏は著書で「イニシャル署名する予定だったが、フルネームで署名したと佐藤首相から知らされた」と記述しており、符合する。
この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。 机は首相在任時、首相公邸に置かれ、退任後は、自宅に持ち運ばれた。関係者によると、元首相は生前、文書の存在について寛子夫人(故人)も含めて家族に漏らしたことはなかった。佐藤元首相の二男の佐藤信二元通産相は「(元首相は)外遊の際はアタッシェケースに書類を入れて持ち歩いていた。69年の訪米の際も、帰国してその文書をアタッシェケースから書斎机に移したのだと思う」と証言する。 佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。
佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。 沖縄核持ち込み密約 1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談時に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した。首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」の返還が合意されたが、同時に密約で有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた。密約では、米国が核兵器を持ち込む事前協議を日本政府に申し入れた場合、「(日本が)遅滞なく必要を満たす」と明記しており、核持ち込みの事前協議の意味を事実上空洞化する内容となっている。