1969年7月20日。人類は月面に初めてその足跡を記した。最も身近な天体である月は古今東西、人の好奇心をかき立て、人は新たな挑戦を求め宇宙へと飛び立ってゆく。月面着陸41年にちなんで、ドイツのシュパイヤー技術博物館に展示さてれいるソ連版スペースシャトル「ブラン」の歴史を調べてみた。
2008年4月に中東から海路と陸路で運び込まれたブラン002号機は大気圏外こそ飛行していないものの、大気圏内を25回飛行した実機である。空を飛んだブランは2機しか現存しておらず、ロシア以外では唯一のフルスケールモデルという極めて貴重な機体だ。 ソ連版スペースシャトル ブランは幻の機体 (米国の)スペースシャトルはメディアに登場する機会が多く比較的馴染みもあるが、ソ連版スペースシャトル「ブラン」を詳しく知る方は少ないと思う。さらに、実機を見たことのある人はごく少数ではないだろうか。 それもそのはず。ブランは完成したものの実際に宇宙を飛行したのはわずか一度だけ。ソ連はプロジェクトのためテスト用機体8機と実証用機体4機の製造に着手したが、体制崩壊とともに計画はストップし、空を飛べるまでに完成したものは数えるほどしかなかった。ブランプロジェクトは巨額の資金を必要とし、それがソ連の困窮を深め体制崩壊を早めたとの説さえある。 バイコヌール宇宙基地の格納庫に保管されていた実証用1号機(1988年に大気圏外を飛んだ唯一の機体)は、残念ながら2002年の格納庫崩壊により残骸化してしまった。これは運営資金不足で格納庫の保守がなされなかったのが原因のようだ。実証用2号機はほぼ完成していたが、現在はレストランや宇宙映像を流す小さな映画館となりモスクワのゴーリキー公園に展示されているらしい。。。 現存する最も完成度の高い機体であるブラン002はシドニーオリンピックの際に展示された後、バーレーンに輸送され砂漠で野ざらし状態にあった。博物館は外交ルートを用いてその入手に成功。その価格はわずか1ユーロだったが、輸送と展示ホール建設には多額の費用(計1000万ユーロ)がかかっている。 ブランはスペースシャトルのコピーとも言われるが さて、シュパイヤーに安住の地を見つけたブランは、よく「スペースシャトルのコピー」と称されるが本当のところはどうなのか。 ブランの実用化はスペースシャトルに4年遅れたものの、計画は1960年代から始まっており、ソ連側によれば「当時の技術ではどこの国が開発しても似たような形になるはず」。また、スペースシャトルのオービター(宇宙船本体)に推進用の大型ロケットが装備されているのに対し、ブランのオービター後部には逆噴射ロケットしか装備されておらず、打ち上げ時は大型ロケット・エネルギアにぶら下がって軌道まで運ばれるなど、設計思想はかなり異なっている。