F1 の年間王者へのルールが遂に変更となりました。2007年と2008年連続で1ポイント差で王者が決まる事態に対して、昨年までの総合ポイント制で、無難なレースを戦った者が年間王者になると言うルールが、もっとも優勝回数の多いアグレッシブな本当のレーサーに対して栄冠が与えられることになります。
F1の運営を担うFIAによって強制的に導入されたルール変更により、2009年のF1では最も多くのレースに勝った者がチャンピオンになるだろう。世界モータースポーツ協議会(WMSC)がパリの本部で会合を開き、F1の商業件を持つバーニー・エクレストンが最初に提唱したこのルール変更について話し合った。 FIAの分析によると、過去のドライバーズチャンピオンシップにメダルシステムを適用させた場合、59回中22回が同じトップ3となり、残りの37回でワールドチャンピオンシップの結果が変わることが明らかとなった。このうちの13回はワールドチャンピオンも変わってしまう。
メダルシステムの下では、ポイントシステムによりタイトルを獲得できなかったドライバーから新たに3名のワールドチャンピオンが誕生することになる。また、全体的な効果としてはワールドチャンピオンの数が減り、タイトル争いがより小規模のグループに集中することになる。特に1990年以前で結果が大幅に変わり、この20年はほとんど変わることはないそうだ。
前述のワールドチャンピオンが変わる13の事例は以下のとおり。 (左側がメダルシステムによるチャンピオン、カッコ内が実際のチャンピオン) 1958年 スターリング・モス(マイク・ホーソン) 1964年 ジム・クラーク(ジョン・サーティース) 1967年 ジム・クラーク(デニー・ハルム) 1977年 マリオ・アンドレッティ(ニキ・ラウダ) 1979年 アラン・ジョーンズ(ジョディ・シェクター) 1981年 アラン・プロスト(ネルソン・ピケ) 1982年 ディディエ・ピローニ(ケケ・ロズベルグ) 1983年 アラン・プロスト(ネルソン・ピケ) 1984年 アラン・プロスト(ニキ・ラウダ) 1986年 ナイジェル・マンセル(アラン・プロスト) 1987年 ナイジェル・マンセル(ネルソン・ピケ) 1989年 アイルトン・セナ(アラン・プロスト) 2008年 フェリペ・マッサ(ルイス・ハミルトン)
1958年 スターリング・モス(マイク・ホーソン) 1964年 ジム・クラーク(ジョン・サーティース) 1967年 ジム・クラーク(デニー・ハルム) 1977年 マリオ・アンドレッティ(ニキ・ラウダ) 1979年 アラン・ジョーンズ(ジョディ・シェクター) 1981年 アラン・プロスト(ネルソン・ピケ) 1982年 ディディエ・ピローニ(ケケ・ロズベルグ) 1983年 アラン・プロスト(ネルソン・ピケ) 1984年 アラン・プロスト(ニキ・ラウダ) 1986年 ナイジェル・マンセル(アラン・プロスト) 1987年 ナイジェル・マンセル(ネルソン・ピケ) 1989年 アイルトン・セナ(アラン・プロスト) 2008年 フェリペ・マッサ(ルイス・ハミルトン)
ポイントシステムにも変更はなく、優勝が10ポイント、2位が8ポイント、3位が6ポイント、以下8位までそれぞれ5、4、3、2、1ポイントが与えられる。そして、優勝以外の総合順位はこれまでと同様獲得ポイントで決まる。コンストラクターズチャンピオンシップも従来のままで、ポイントのみで争われることになる。
大方の予想に反し、FIAはFOTAが提案した1位から3位を12、9、7ポイントとする新しいポイントシステムについては却下した。
F1最多勝利制は来期から導入へ延期へ 自動車レースのF1世界選手権シリーズで、年間総合王者を勝利数で決める新ルール導入が20日、来季以降に延期される見通しとなった。 国際自動車連盟(FIA)が同日、「参戦チームが新システムに同意しない場合は、2010年まで導入を保留する」と発表した。FIAは17日の世界モータースポーツ評議会で、年間王者決定では従来の最多ポイント獲得ではなく、勝利数を優先する新規定を承認した。しかし、F1チーム協会(FOTA)が、ルール変更がシーズン開幕直前であることを理由に反発していた。 FOTAは同評議会で、現行の得点制のポイント配分の変更を提案したが、却下されていた。最多勝利制には、昨季の総合王者のルイス・ハミルトン(英国、マクラーレン・メルセデス)や世界王者に7度就いたミヒャエル・シューマッハー氏(ドイツ)も疑問を投げ掛けていた。