マイクロソフト社誕生までの道のり
高校時代に起業
ビル・ゲイツ氏は1955年10月28日に産声を上げ、米国ワシントン州のシアトルで2人の姉妹とともに育った。父は、シアトルで弁護士業を営んでいるウィリアム H. ゲイツ 2世で、母は教員、ワシントン大学の評議委員、および国連 NGO の United Way International の会長を務めたメアリー ゲイツ(すでに他界)。
ビル・ゲイツ氏は、公立小学校を経てノースシアトルの私立レイクサイドスクールに進学した。13歳のときにコンピュータープログラミングを始めたのがコンピューターに興味を持つキッカケとなったようだ。起業は早く、高校時代には友人のポール・アレン(マクロソフトの共同創設者)とともにトラフォデータ社を創業している。1973年、ハーバード大学に入学し、現マイクロソフト最高経営責任者となるスティーブ・バルマー氏と出会った。
世界最初のパソコンが原点
1975 年、ビル・ゲイツ氏はポピュラー・エレクトロニクス誌に世界初のパソコン「Altair 8800」が掲載されたことから、ハネウェルの社員であったポール・アレンとともにAltair 8800用のコンピューター言語「BASIC」を開発した。Altair 8800用BASICを販売するために設立した会社こそ、今日のマイクロソフトの前身である“Micro-soft”だ。
1978 年 12 月 7 日撮影
前段左より:スティーブ ウッド、ボブ ウォラース、ジム レーン 中段:ボブ オ リアー、ボブ グリーンバーグ、マーク ドナルド、ゴードン レットウィン 下段:ビル ゲイツ、アンドレア ルイス、マーラ ウッド、ポール アレン
2008 撮影
Gates氏のMicrosoft常勤勤務終了を控え、アリバカーキ時代のメンバーたちは最近、この写真を撮りなおした。ほとんどの人が元の写真と同じ位置に立っている。変わったのは、1978年は吹雪のため撮影に参加できなかったMiriam Lubow氏が写真に加わったことと、シェアウェアという言葉の生み親で、2002年に亡くなったBob Wallace氏が今回はいなくなってしまったことだ。
ビル・ゲイツ氏は、大学3年の時に、1975 年に幼友達のポールアレンと共に創めたマイクロソフトに全力を注ぐため大学を中退しました。パーソナルコンピュータは、いずれ全ての職場の机の上、および全ての家庭において有益な道具になるという信念の基に、彼らは、パーソナルコンピュータ向けのソフトウェア開発を始めました。ゲイツの先見の明とパーソナルコンピューティングに対するビジョンは、マイクロソフトおよびソフトウェア業界全体の成功の中心となってきました。
その後の活躍は、皆さんもよくご存じのことでしょう。
APPLEに続いてGUIインターフェイスを持つOS2をIBMと共同で開発し、その後Microsoft独自のOS「Windows」を開発して、今日のようなWindows時代をもたらしている。
14年連続の長者番付1位に
ビル・ゲイツ氏は、2000年1月、マイクロソフト最高経営責任者の座をスティーブ・バルマー氏に譲り、現在は同社の会長職にある。彼のビジネスによる財は一般のサラリーマンの常識とは遠くかけ離れたものだ。米国の2007年世界長者番付によると、個人資産は推定590億ドル※で、14年連続のトップとなっている。
※日本円で約6兆2000億円
ビル・ゲイツ氏が見せる意外な一面
世界規模での慈善活動
マイクロソフトは2006年6月15 日、ビル・ゲイツ氏が2008年7月をもって同社の経営の第一線から退き、その後はビル アンド メリンダゲイツ財団での活動を中心に世界の健康と教育の課題に取り組むことを発表し、彼の妻 メリンダ・ゲイツと父親 ウィリアム H. ゲイツ 2世とともに設立。同財団は2005年、国際団体「ワクチンと予防接種のための世界同盟」に民間としては最大規模となる7億5000万ドルの寄付を発表している。
庶民的な一面も
ビル・ゲイツ氏は、ハンバーガーやピザなどのファーストフード好きだという話がある。実際、日本のマイクロソフトの元会長 古川 享 氏のブログ「私の知っているビル・ゲイツ」によると、ほぼ毎日欠かさずハンバーガーを昼食にしていたそうだ。
ある日、同氏がビル・ゲイツ氏に毎日ハンバーガーを食べる理由を聞いたところ、「ハンバーガーはアメリカ文化の産んだ偉大な完全食で全ての栄養要素を含んでいる」という返答が返ってきたそうだ。幕張で開催された大きなイベントで基調講演を引き受けたときにも、ハンバーガーは欠かさなかったという。またビル・ゲイツ氏は自家用ジェット機を所有しているが、一般の旅客機では常にエコノミークラスの席を利用していると言われてきた。
ビル・ゲイツ氏の成功は、世界初のパソコン「Altair 8800」に出会ったときに専用のコンピューター言語を作ろうと思い立ち、実際に実現したことから始まった。友人やビジネスパートナーに恵まれた点も大きかったのだろうが、普通の人であれば、アイデアを実現することはできないことが多い。ナポレオンの研究家として知られているゲイツ氏は、ナポレオンに関連した書物はほとんどを読破したとも言われている。「BASIC」のアイデアが浮かんだとき、彼の辞書からは「不可能」という文字が消えたのかもしれない。
数十年間Gates氏の右腕を務めたMicrosoftの最高経営責任者(CEO)、Steve Ballmer氏の言葉
「彼は単にBill Gatesというだけでなく、あの有名なBill Gatesなのだ」。
「彼はMicrosoftを設立し、これだけの富を築き、財団を設立し、現在の名声を得た。これらは掛け替えのないものだ。またBillは、 Microsoftのすべての技術とともに歩んできた。彼は私が知る限り、最も優れた記憶力の持ち主だ。彼ほどの『人間の幅』を持ち合わせた人物は今後二度と現れないだろう」
ゲイツ会長が常勤最後の出社、涙声で「求められれば助言」
「マイクロソフト(MS)のことを考えない日は1日たりともないだろう」。MS創業者のビル・ゲイツ会長(52)は常勤としては最後の出社となった27日、ワシントン州の本社で開かれた社員集会であいさつした。
7月からはメリンダ夫人と運営する財団での慈善活動に軸足を移す。MS会長職は非常勤となる。ライバル会社への対抗心を隠さない強気さで知られるが、「求められればいつでも助言する。この会社を愛している」と涙声になって話し、会場から拍手がわいた。
マイクロソフト コーポレーション(米国本社)役員
会長 ウィリアム H. ゲイツ 3 世
Microsoft Fast Facts: 1975