2007年のF1は歴史において最も激しく、そして劇的なエンディングを迎えた。最終戦まで3人のドライバーがタイトルを争うことはF1の歴史の中でもそれほど多くはなかった。最終戦まで、ルイス・ハミルトンがチャンピオンシップをリードしていたが、アロンソとライコネンの二人もタイトル争いに加わり、ポイント上最も不利な3位に位置していた、キミ・ライコネンが年間でのチャンピョンになるなど、誰が予測し実現したのだろうか。このような激戦は最近の2回の例では、2位だったドライバーがチャンピオンシップリーダーを出し抜いてタイトルを獲得している。
F1で3人のドライバーが最終戦までタイトルを争ったのは、最近では1986年のことだった。ナイジェル・マンセルがチャンピオンシップをリードしており、7ポイント差でアラン・プロストとネルソン・ピケがこれを追っていた。 当時はレースで優勝すると9ポイント、2位には6ポイントしか与えられず、マンセルがポイントを獲得できなかった場合にしかプロストに優勝の可能性はなかった。しかし、マンセルは最終戦の残り19ラップのところでリタイヤし、プロストがタイトルを手にする結果となった。
1981年は、チャンピオンシップリーダーに運のなかった年だった。 カルロス・ロイテマンがネルソン・ピケにわずか1ポイント、ジャック・ラフィーに6ポイント差でチャンピオンシップのトップに立っていた。F1の最終戦はラスベガスで行われ、ネルソン・ピケがタイトルを獲得して勝利の美酒を味わった。ピケはレースでは5位だったが、ロイテマンが8位でポイントを獲得できなかったのだ。