イスラエルにあるヘブライ大学のエフド・ネツェル教授を中心とする考古学チームは、新訳聖書に登場する古代ユダヤ王国のヘロデ王の墓を発見したと発表した。ヘロデの埋葬場所は、ローマ時代の歴史記録などからヘロディオンにあるとの見方は根強かった。だが、墓が見つからず、ユダヤ史の謎の一つとされていた。
イスラエルのヘブライ大学考古学研究所は8日、生誕直後のイエス・キリストを殺そうとしたことや、世界遺産に登録されているマサダ要塞(ようさい)などの巨大な建設事業で知られるローマ時代のユダヤ王ヘロデ(紀元前74〜同4年)の墓が見つかった、と発表した。 発表によると、発見場所は、エルサレムの南方約10キロ・メートルにあるヘロデ王宮跡の近く。棺は全長約2・5メートルで石灰岩でできており、銅製の装飾が施されていた。棺は損傷が激しく、人骨も見つかっていないが、ネツェル教授は発見場所や装飾などからヘロデ王のものと判断したという。 発見者のエフド・ネツェル教授によると、墓はエルサレムの南15キロ、ベツレヘムを越えたところにある山に造ったヘロデの要塞兼宮殿ヘロディオンの地中にあり、72年から発掘してきた。ヘロデの埋葬場所は、ローマ時代の歴史記録などからヘロディオンにあるとの見方は根強かった。だが、墓が見つからず、ユダヤ史の謎の一つとされていた。 ネツェル教授は、約350メートルにわたる墓への階段や、王とみられる高位の人物の石棺の外側を覆っていた装飾細工の一部が見つかったとし、「ヘロデ王の墓と断定した」と述べた。ただ、石棺はローマの支配に抵抗したユダヤ人に破壊されたと見られ、骨が残っている可能性は低いという。 ヘロデ王は紀元前1世紀の王で、古代ローマの支持を受けて王位につき、専制政治を行った。紀元前にベツレヘムで生まれたとされるキリストの生誕を聞いたヘロデは、新約聖書のマタイ福音書によると、ユダヤ王の座を奪われることを恐れて2歳以下の男児をすべて殺させたという。キリストは親に連れられて逃げ、無事だった。 政敵も次々と殺した。息子が義理の娘サロメの求めに応じて、キリストに洗礼を施したヨハネの首をはねたという物語も有名だ。大建設事業でも名を残した。死海沿岸の山の頂上と断崖(だんがい)に宮殿を造り、全体を要塞にもしたマサダや、円形劇場のある港湾都市カイサリアなどが知られる。