「パンがなければケーキをお食べなさい…なんて言わないわ」、マリー・アントワネット生誕250年を記念して制作された映画が20日公開された。映画が仏・カンヌ国際映画祭で話題になってから日本公開まで時間的があり、提携や商品開発、「ファッションやスイーツなど、女性が好きな商品が映画の中に盛りだくさんなのが寄与した」している。日本での観客動員数は130万人、興行収入は20億円の見込みで、女性の間での“マリー・アントワネット景気”が期待されている。
歴史上の人物の有名な言葉を、本当に本人が言ったのかどうかは、時間がたつと、あいまいになる。が、なぜその言葉が語り伝えられたかという時代背景は、時を経る中で浮き彫りになる。 「パンがなければケーキをお食べなさい」。18世紀のフランス王妃マリー・アントワネットが言ったとされるこの“名言”は今も世界中で物議を醸し続けている。 無類のケーキ好きの彼女が、べルサイユ宮殿で贅(ぜい)の限りを尽くし、民衆が日常食のパンを口にするのにも窮する最中に発したとされるこの言葉は、民衆の敵、貴族を象徴する“キャッチコピー”として語り伝えられた。が、5年前、英国の歴史文学者アントニア・フレイザー女史は、この誤解を解こうと真説版の伝記を発表。これを原作にした映画「マリー・アントワネット」(ソフィア・コッポラ監督)が日本で公開中だ。 王妃の名が残るイチゴのババロアケーキ「シャルロット・マリー・アントワネット」 イチゴのデコレーションケーキやマカロン…。映画でキルスティン・ダンスト演じる王妃は大好きなケーキを部屋中に並べ、最新ファッションに身を包み、連夜、舞踏会に興じる。が、抑圧された民衆の批判は高まり、新聞には彼女の発言として「パンがなければケーキをお食べなさい」という記事が載る。これを見た彼女は微笑しながら一蹴する。「そんなこと言わないわ」と「言ってない」と主張するフレイザー氏の根拠はこうだ。 彼女が母に送った手紙には民衆を気遣う優しさがつづられ、王家でただ一人、彼女は農民の畑を馬で踏みにじらなかった。そもそもこの言葉は、彼女が生まれる1世紀前のルイ14世の妃の言葉としてすでに有名だった−という事実。 では、なぜこの言葉は歴史に刻まれたのか。。。当時、フランスの民衆にとってパンは貴重品で、その購入費は収入の50%を占めていたという。生活の豊かさを示すエンゲル係数(家計の総支出に占める食費代)で比較すれば、その数字は現代日本の家計では信じられない悲惨な台所事情を想像させる。もし、当時、彼女がこれに近い言葉を発していたとしたら…。
マリー・アントワネット 1755年、オーストリアのハプスブルク家に生まれ、14歳の時に政略結婚で、フランス国王ルイ15世の孫の王子ルイ・オーギュストの妃となる。74年、王子がルイ16世に即位し、18歳で王妃に。89年にフランス革命が起こり、彼女は反革命の立場を取ったとされ、93年、革命裁判で死刑に処せられる。37歳だった。無類の浪費家でフランス王室の財政を傾けた張本人とされるが、ケーキなどお菓子作りの技術や食器など食卓芸術の文化の流行を築き上げ、クグロフやメレンゲなど、彼女が現代に伝えたお菓子は多い。
1755年、オーストリアのハプスブルク家に生まれ、14歳の時に政略結婚で、フランス国王ルイ15世の孫の王子ルイ・オーギュストの妃となる。74年、王子がルイ16世に即位し、18歳で王妃に。89年にフランス革命が起こり、彼女は反革命の立場を取ったとされ、93年、革命裁判で死刑に処せられる。37歳だった。無類の浪費家でフランス王室の財政を傾けた張本人とされるが、ケーキなどお菓子作りの技術や食器など食卓芸術の文化の流行を築き上げ、クグロフやメレンゲなど、彼女が現代に伝えたお菓子は多い。