04年12月に国内最古の彩色壁画片(7世紀初め)が見つかった奈良県斑鳩町の法隆寺で、同じ絵の一部とみられる断片約80点が新たに出土した。 前回の約60点と同様に高温で焼けた跡があった。樹木らしい図柄が初めて見つかるなど、仏教絵画とみられる壁画の全体像を知る手がかりが得られた。また、柱に接していた跡がある壁土片なども一緒に出土したことから、壁画は大規模な建物の一部とみられ、670年に焼失した創建法隆寺(若草伽藍(がらん))の金堂や塔などの内部を飾っていた可能性が高くなった。
下水道工事に伴い、前回調査地点の約20メートル北で約4平方メートルの範囲を発掘。壁画片約80点のほか、色のない壁土片約200点が出土した。 壁画片は数ミリから数センチ角で、強い火で焼かれたため緑や赤の顔料が褐色や紫色に変色していた。大半は絵柄が不明だが、木の幹や葉を描いたとみられるものや、しま模様の図柄が含まれていた。 壁画片は、どのような絵の一部だったのか。専門家の話をもとに、ほぼ同時代の絵と比較した。「絵因果経」は釈迦の伝記を描いた絵入りのお経。「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」は、聖徳太子の死を悼んで作られたといわれる刺繍(ししゅう)。 奈良時代の「絵因果経」など古代の代表的な仏教絵画には、今回見つかった壁画片と似た表現の樹木や、しま模様のスカートを身につけた人物が描かれたものがある。 前回の出土品にも、しま模様やハスの花びらに似た花弁のような模様があった。鑑定した百橋明穂(どのはし・あきお)・神戸大教授(絵画史)は「釈迦(しゃか)の伝記のような物語の絵では」と推測。「周辺をさらに調査すれば、仏や人物の絵も見つかるのではないか」と期待する。 一方、壁土片の一部には、丸柱や横に渡した木材に接していたとみられる跡が溝状に残っていた。かまぼこ形の土片(長さ20センチ、幅15センチ、高さ10センチ)も見つかり、その上に屋根の丸瓦を載せていたことがわかった。瓦ぶきの工法がわかる最古の出土品という。 壁画片は7月15日午前10時〜午後5時、同町中央公民館で展示される。 法隆寺・若草伽藍で壁画片――7世紀初め、樹木描く?
奈良県斑鳩町の法隆寺で、聖徳太子が607年に創建した当初の若草伽藍跡から、樹木などを描いた七世紀初めの焼け焦げた壁画片や壁土、瓦などが大量に見つかり、斑鳩町教育委員会が27日発表した。若草伽藍の金堂か塔を飾っていた可能性が高いという。 現場近くでは2004年に、同時期の焼けた壁画片が出土。670年に法隆寺が焼失したとの日本書紀の記述を裏付け、現在の伽藍が再建されたことを証明する資料と考えられている。今回の調査結果と合わせ、最古の壁画とされる若草伽藍壁画の全容解明に期待がかかりそうだ。 見つかった壁画片は約80点。うち1点(縦約4センチ、横約3センチ)は、黄土色の木の枝や暗褐色の葉が描かれていた。葉は、火災の際に変色した可能性があるという。ほかに暗褐色のしま模様や、玉を連ねたような飾りが描かれた破片もあり、仏画の一部だった可能性があるという。 現場は若草伽藍の塔跡から約90メートル西。壁画片などは、平安時代の溝か池の跡からまとまって見つかった。短時間で一気に埋められたらしい。 また瓦は高熱のため変形したり、壁と癒着したりしており、同町教委は「火災の激しさをほうふつとさせる。若草伽藍焼失後、残った壁土や瓦を整理し、伽藍中心部からやや離れた今回の現場周辺に集めたのではないか」と話している。