人類史上最も偉大な天才アインシュタインとダーウィンは手紙書き魔だったと米国およびポルトガルの学者たちが英科学週刊誌ネイチャー最近号に書いている。もちろん2人は受け取った手紙も多かった。
米インディアナ州のノートルダム大学とポルトガルのアベイロ大学の学者たちの研究によれば、進化論の父チャールズ・ダーウィン(1809−82)は生涯に7591通の手紙を同僚たちに送り、6530通を受け取った。19世紀にこれだけの手紙をやり取りしていた個人は珍しい。 偉大な頭脳は手紙をたくさん書く 一方、20世紀最大の科学者とされる相対性理論のアルバート・アインシュタイン(1879−1955)は1万4500通以上の手紙を送り、1万6200通を受け取った。 2人は有名になったあとで手紙のやり取りが増えており、両者とも受け取ってから大体10日以内に返事を出している。 アインシュタイン自筆文書発見 オランダライデン大の理論物理学研究所 1925年に出版された物理学者アインシュタインの著作の自筆文書が21日までに、オランダにあるライデン大の理論物理学研究所の文書館で見つかった。 「単原子理想気体の量子理論」と題された16ページの文書は24年12月付で、ドイツ語で記述されている。アインシュタインは20年代、ライデンで非常勤の客員教官をしていた。 文書は、絶対零度(セ氏氷点下273・15度)に近い温度では、複数の気体原子が1個の粒子のように振る舞うと予言する内容。この現象は「ボース・アインシュタイン凝縮」と呼ばれ、アインシュタイン最後の大発見の一つとされる。 文書は修士論文の作業をしていた学生が発見した。同大の教授は「アインシュタインの指紋も残っている。彼がここにいたことを思い出させるものとして保存したい」と話している。 『チャールズ・ダーウィン』 『アインシュタイン・アーカイブ・オンライン』 900点を超える学術論文や手紙などを一般に公開しており、世界で最も魅惑的な精神の持ち主だったアインシュタイン(写真)の思想や感情を細かくたどることができる。
恋愛も「相対性」アインシュタイン博士の書簡公開 相対性理論で有名な物理学者、アルバート・アインシュタイン博士(1879〜1955)が生前、家族にあてた書簡多数が10日、博士と縁の深い当地のヘブライ大学で初公開された。 膨大な書簡からは、この大物理学者がしばしば、相対性理論よりも女性により多くの興味を示していたことなどがうかがえる。浮気をためらいなく認めるなど博士の奔放な生活ぶりをうかがわせる内容となっている。 約3500ページに及ぶ手書きの書簡には、アインシュタインが2番目の妻のエルザさんやその連れ子の娘のマルゴットさんにあてたもの、また先妻のミレーバさんとの間の2人の息子に出した手紙などが含まれている。これらの書簡は、アインシュタインの遺言でマルゴットさんが保管し、その死後は、プライバシーを守るため、20年間、“封印"されていた。 2年間かけてすべての書簡を読み通した、同大学アインシュタイン文書保管所のバーバラ・ウルフさんは、「手紙を通じて、アインシュタインの違った側面に関する情報を得ることができます。我々は、アインシュタインのより人間的な面を見ることができます」と語った。 書簡からは、アインシュタインがエルザさんやマルゴットさんと、浮気に関してもオープンに話題にしていたことが分かる。アインシュタインは1931年のマルゴットさんへの手紙で、「M(1920年代から30年代初めにかけてアインシュタインと親密な関係にあったベルリン社交界の婦人)が私を(英国まで)追って来たのは事実だ。彼女が私を追いかけ回すのは、もうどうしようもなくなっている。…私は人が私について何を言おうとかまわないが、お母さんやM夫人にとっては、ゴシップ話はない方がいい」などと書いている。 マルゴットさんへの31年の書簡では、「Mさんが(滞在先の)英国まで追いかけてくる」「無害で上品なL夫人はいとしい」などと複数の女性との関係を明かした上、「人々のうわさは気にしない」と浮気を続ける考えを正直につづっている。 相対性理論が実験的に確認された翌年の1921年の書簡では「間もなく、私は相対性理論にうんざりするようになるだろう。こんなものでも、あまりに没頭しすぎると、色あせてしまう」としたためている。
膨大な書簡からは、この大物理学者がしばしば、相対性理論よりも女性により多くの興味を示していたことなどがうかがえる。浮気をためらいなく認めるなど博士の奔放な生活ぶりをうかがわせる内容となっている。
約3500ページに及ぶ手書きの書簡には、アインシュタインが2番目の妻のエルザさんやその連れ子の娘のマルゴットさんにあてたもの、また先妻のミレーバさんとの間の2人の息子に出した手紙などが含まれている。これらの書簡は、アインシュタインの遺言でマルゴットさんが保管し、その死後は、プライバシーを守るため、20年間、“封印"されていた。 2年間かけてすべての書簡を読み通した、同大学アインシュタイン文書保管所のバーバラ・ウルフさんは、「手紙を通じて、アインシュタインの違った側面に関する情報を得ることができます。我々は、アインシュタインのより人間的な面を見ることができます」と語った。
書簡からは、アインシュタインがエルザさんやマルゴットさんと、浮気に関してもオープンに話題にしていたことが分かる。アインシュタインは1931年のマルゴットさんへの手紙で、「M(1920年代から30年代初めにかけてアインシュタインと親密な関係にあったベルリン社交界の婦人)が私を(英国まで)追って来たのは事実だ。彼女が私を追いかけ回すのは、もうどうしようもなくなっている。…私は人が私について何を言おうとかまわないが、お母さんやM夫人にとっては、ゴシップ話はない方がいい」などと書いている。 マルゴットさんへの31年の書簡では、「Mさんが(滞在先の)英国まで追いかけてくる」「無害で上品なL夫人はいとしい」などと複数の女性との関係を明かした上、「人々のうわさは気にしない」と浮気を続ける考えを正直につづっている。 相対性理論が実験的に確認された翌年の1921年の書簡では「間もなく、私は相対性理論にうんざりするようになるだろう。こんなものでも、あまりに没頭しすぎると、色あせてしまう」としたためている。