江戸時代末期に作られた日本初の近代的世界地図「新訂万国全図」の元になったイギリスの古地図が東京都内で発見された。
見つかったのは、イギリスの地図作製者アーロン・アロースミスが1800年ごろに作った縦約1・3メートル、横約2メートルの銅版画の世界地図。武蔵野市の内科医、二宮陸雄さん(76)が昨年11月に古書店で入手した。 1810年(文化7年)に幕府天文方、高橋景保(かげやす)が完成させた「万国全図」は、ロシア船の蝦夷地(えぞち=北海道)来航に危機感を強めた江戸幕府が高橋に命じて作らせた、初の近代的測量技術による世界地図。その際、高橋はアロースミスの地図を参考にしたとされるが、これまで具体的には特定されていなかった。 今回、二宮さんが入手した地図と「万国全図」を比較したところ、オホーツク海の湾の名前や、千島列島の島の形状など多くの一致点があり、「万国全図」がこの地図を参照したことが分かった。 当時、樺太(サハリン)については「2島説」や「半島説」もあったが、高橋は現地に派遣した間宮林蔵の調査結果と、アロースミスの地図を元に「1島説」を採用。しかし、高橋は「万国全図」の完成後も、樺太の形状について確信をもてず、オランダ商館医シーボルトが所有していたロシア人の樺太地図を譲り受ける代わりに、国禁の日本地図などを渡したため、「シーボルト事件」に発展した。 北海道大スラブ研究センターの秋月俊幸研究員(日本北辺地図学史)は、「もう国内にはないと考えられていただけに驚き」と話している。