自転車ロードレースの最高峰、ツール・ド・フランスは24日、コルベイユ―パリ間で最終ステージが行われ、今大会限りでの引退を表明しているランス・アームストロング(米)が総合首位を守りきり、前人未到の7連覇を達成した。総合優勝回数7に伸ばし、自らの持つ最多記録を更新した。 第4ステージで総合首位に立ったアームストロングは、第9ステージで一時後退したが、次のステージで首位を奪い返し、そのままトップを譲らなかった。
ランス・アームストロング氏は、1996年に発覚した睾丸がんを克服して、2度目の出場となった99年に初優勝。以来、優勝回数を積み重ね、昨年のこの大会で史上初となる6年連続の総合優勝を達成していた。 今大会でも得意とするアルプスの山岳地帯でのステージで着々と後続との差を広げ、フランス全土を駆け巡る全行程約3600キロの長丁場をトップのタイムで走り切った。 残念なことにアームストロングは今大会を最後に、現役引退を表明している。 1999年 ガンから生還したランスは、ツールで総合優勝することを目的に肉体をシェイプ。宣言通りに1勝目をあげ、世界中に感動を呼んだ。
2000年 第16ステージ・ジュープラーヌ峠でランスはハンガーノックを起こし失速。誰もが息をのんだ瞬間だった。しかしその後体調を戻した彼は、第19ステージのタイムトライアルでも優勝。2位のウルリッヒに6分差で優勝。
2001年 第10ステージ、ランスの体調不良が伝えられていたが、これは戦略。ラルプデュエズの麓から猛アタックを決めたランスは、6分先のルークスを軽々と抜きステージ優勝。「まるでオートバイのようだった」と語ったルークスのコメントは有名。
2002年 絶対的にランスの4連覇を阻む者がいないとされた年。堅実に戦うステージが多かったものの、山岳ステージでのランス、エラス、ルビエラのコンビネーションが光った。ツール中、ランスは6連覇達成を公言した。
2003年 昨年はランスの不調が5連覇を厳しいものにした。しかし第15ステージ、それまで沈黙していたランスが爆走。途中観客の持っていたサコシュに引っかかり、落車するというハプニングもあったが、ステージ優勝。その後のステージを堅実に乗り切ったランスは、インデュラインに続く史上2人目の5連覇を成し遂げた。
2004年 厳しい戦いになるのではないかとの大方の予想を覆し、ステージ5勝を含む圧勝。この瞬間、ツール1世紀の歴史で誰も成し得なかった6連覇を達成した。勝利を確実に重ねるためには、チーム一丸となることが必要なのだと改めて感じさせてくれるほど、アシスト選手たちの活躍が目立った年でもあった。
2005年 ツールを最後に引退することを公表したランスは、プロ選手生活の総仕上げとして、昨年達成した前人未到の6連覇をさらに更新する7連覇を成し遂げた。ヒンカピー、サボルデッリがステージ優勝するなど、アシスト陣が集団を離れて活躍する。第20ステージの個人TTでは、圧倒的な強さでステージ優勝を飾り、その存在感を強烈に印象づけた。
ランス・アームストロング、ツールの歴史に深く刻まれる偉業、個人総合7連覇達成。.
第92回ツール・ド・フランス第21ステージは、パリまで恒例のパレード走行。ランス・アームストロングの引退ステージでもあり、本格的なレースが始まるパリまでの間、なごやかな雰囲気となった。 数々の偉業を成し遂げてきたランスに次々と握手を求めにやってくる選手たち。そして自らチームカーの隊列まで下がり、各チームのスタッフに最後のあいさつをする。さらに、オートバイで取材するプレスたちからも握手を求められる彼は、本当に多くのレース関係者に認められながら引退することになったのだと感じさせられる。 96年にがんを発症し、苦しい闘病生活に耐え98年に復活した彼は、ツール・ド・フランスで通算25勝(チームTT含む)、99年から7年連続で個人総合優勝を果たし、多くの人々に勇気と感動を与え続けてきた。 総合タイム86時間15分2秒。ランス・アームストロングは7連覇を果たしたと同時に、14年間のプロ選手生活を終えた。 個人総合上位の表彰台で彼は、バッソを「ツールの将来」と褒め、ウルリッヒをタフなライバルだったと改めて認めた。そしてこれからは、君たちの番だと。 ツールに多くのことを学び、ランスに勇気づけられた。 だからきっと私たちは、彼が引退した後もそれが続く限り、ツール・ド・フランスのファンであり続けるに違いない。VIVE LA TOUR !