日本マイクロソフトの顔であった古川さんが、10日執行役CTO(最高技術責任者) 兼 米マイクロソフトのコーポレートバイスプレジデント、6月30日付けで全役職を退任し、マイクロソフトを退職すると発表がありました。
古川氏は、1986年の日本マイクロソフト設立と同時に初代代表取締役社長に就任、1991年から2000年4月までは代表取締役会長を務めていた。 2000年5月には米本社のコンシューマー戦略担当バイスプレジデント、2002年にはアドバンストストラテジー&ポリシー担当バイスプレジデントに就任し、活動の拠点を米国に移した。 2004年2月から活動の拠点を日本に戻し、マイクロソフトの執行役で日本における最高技術責任者に就任した。 古川さんは、マイクロソフト入社前のアスキー在籍中から、マイクロソフト製品・技術の日本における推進と多くのパートナーとの協力関係を構築して、25年以上に渡り、日本におけるIT産業や技術の普及と発展に貢献してきた。情報と通信、放送、音楽、エンターテインメントなどの業界を超えた技術融合・連携などの実現に向けたさまざまな活動を行ってきた実績は、日本の発展にも大きく貢献したのではないでしょうか。 最近の日本マイクロソフトは、2代続けて海外からの社長が勤めていることから、外資としてのビジネスを展開していくのでしょうか? 古川さんが続けてきた活動や多くの企業、個人とのつながりは、マイクロソフトにとっても大きな価値があったと思うので、これからのマイクロソフトの向かう先がどうなるのか?
なによりも第一線で常に活動されていた古川さんに敬意を表します。お疲れ様でした。 ゲイツ氏主催で古川さんの卒業を祝う会 米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長を発起人として、「古川享を囲む会」が東京都内のホテルで6月28日開かれた。マイクロソフトの初代社長である古川氏は、文字通り、日本のパソコン産業を創出した立役者。その古川氏が6月30日付けでマイクロソフトを退社するとあって、ゲイツ氏自身が発起人となり、「マイクロソフトからの卒業」を祝う会を開いたもの。会場には古川氏とともにパソコン産業の発展に寄与したパソコンメーカー、ソフトメーカー、周辺機器メーカー、半導体メーカー、販売店など多くの関係者が一堂に会した。
冒頭の挨拶でゲイツ会長は、「こういう会があると、懐かしい歴史を振り返ることができます。マイクロソフトが日本でビジネスを始めるにあたっては、大変なこともありました。その時に常に助けてくれたのが、サム古川でした」と古川氏を讃えた。さらに、古川氏が日本の新しいテクノロジーについての情報に精通した情報源であった事実を紹介し、「なんと、昨日の晩まで、サム古川は日本の最新テクノロジーの動向とそれを当社のビジネスに結びつけるかについて、熱心に話してくれたのです」というエピソードを明らかにした。
これを受けて古川氏は、「実は1986年頃、日本でジャストシステムと仲良くしたりして、あまりにマイクロソフト以外のメーカーと仲良くしすぎたことで、ビルからものすごく怒られて、2年ばかりはシアトルに足を踏み入れることができなかった」が、その後「やっぱり、君ほど、マイクロソフトを愛している人はいないねと理解してもらって、許してもらうことができた」という秘話も明かした。
この話からもわかるように、古川氏こそ「日本で最もマイクロソフトを愛した男」である。それだけに、今回の「卒業」は、マイクロソフトからの別離というニュアンスばかりではないようだ。そんな想いは「ちょっと離れたところからマイクロソフトを見たい。社外の人間だからこそ、厳しいこともいえるかもしれないし、マイクロソフトってそんなに悪い会社ではないと主張することもできる」という古川氏の言葉からも伝わってくる。
また、「マイクロソフトを退社したメンバーで素晴らしいテクノロジーを作っている会社もある。以前からの夢だったが、日本のテクノロジーを紹介することも実現していきたい」と新しい活動にも意欲をみせた。 ■マイクロソフト 大浦さんお疲れさまでした。