ビルカバンバとは、古代インカ語で「聖なる谷」という意味。その谷間ののどかな田園風景の中に、「生命の水」と呼ばれる川が流れています。また、ビルカバンバは、コーカサス(グルジア共和国)、フンザ(パキスタン)と並ぶ世界三大長寿地域と言われています。ビルカバンバに住む爺さん婆さんは 100 歳以上生きることが普通のようです。なぜ、こんなに長生きできるのか、世界で研究がすすめられています。のどかな風土とバランスの取れた食生活がその秘訣のようです。
ここには2001年に別の探検隊が発見したインカの集落の遺跡クオリライラチナがある。ビルカバンバ山脈南部の標高3885メートルのセロ・ビクトリア。この遺跡の発見によって、インカ帝国の歴史に新たな謎が投げかけられたのだ。
深い渓谷が縦横に走り、落差が300メートル近くもある滝があちこちで流れ落ちる南米ペルーのビルカバンバ山脈は、古代インカの首都クスコの北東から260キロにわたって連なり、岩山がそびえるペルーの中心部まで達している。
1537年、インカ末期の皇帝マンコ・インカは、スペイン人からクスコを奪還するのに失敗した後、残りの武器をこの山脈の崖や岩山に隠した。その約100年前、インカの最も偉大な皇帝パチャクティは、このビルカバンバの山中に夏の離宮マチュピチュを建設した。マンコ・インカも避難所を必要としていた。ただしそこは夏の暑さではなく、スペイン軍を避ける場所であり、侵入者から身を守れる、要害の地でなければならなかった。
彼はこの山奥の要塞から襲撃隊を送ってスペイン人を苦しめ、インカ帝国の財宝を奪回し、反乱を企てた。スペイン人も反撃したが、地形が険しいために馬は使いものにならなかった。山のふもとで足踏みするスペイン人は、山腹に潜む反乱軍の格好の標的となり、投石や弓矢で攻撃された。しかしその8年後、マンコ・インカは、ビルカバンバの要塞をもってしても、裏切り者からは身を守れないことを知る。
1541年、ペルーでの勢力拡大を狙うスペイン人たちが総督フランシスコ・ピサロを殺害。暗殺者たちの一部はマンコ・インカのもとへ逃れ、マンコ・インカもまた憎きピサロの暗殺者たちを歓迎した。彼らは約3年間、当時のインカの首都ビルカバンバで手厚いもてなしを受けたが、その後、新総督から手紙を受けとり、クスコで彼の保護下に入るよう促される。
そして歴史を画す事件が起きた。暗殺者たちは、襲撃に余念のないマンコ軍のすきを突いて、背後から皇帝を剣で刺し、再び暗殺者となった。マンコ・インカは3日間生き延び、暗殺者たちが報いを受けたことを知る。暗殺者たちは火のついた建物に追い込まれ、焼死したか、逃げようとするところを殺されたのだ。
インカ帝国はその後28年間、マンコ・インカの3人の息子による統治のもと、独立を維持した。しかし1572年5月、スペイン側はクスコから250人の兵士を送って、インカの砦を破り、最後のインカ皇帝トゥパク・アマルを捕えようとた。激戦の末、スペイン軍はついに山奥にあるインカ帝国の首都に到達。しかし町には火が放たれ、皇帝はすでに逃走していた。スペイン兵は河を越え、ジャングルを抜けて、アマゾン川へ向かい、500キロ以上にわたって皇帝を追跡し、とうとう捕えた。
1572年スペイン人は反撃に出る。 250名のスペイン人戦士と2000名の反インカを掲げる先住民により構成された派遣部隊がクスコを出発。 激しい戦いを何度も繰り返した後、スペイン軍はついにビルカバンバに到達した。 しかしそこで彼らが見たものは、インカ帝国最後の皇帝、トゥパク・アマルがジャングルの奥深くへと逃げた後、 火を放たれ廃虚と化した密林都市。 そして、そこには黄金や銀は残されていなかった。
トゥパク・アマルと失われた黄金を求めて、マルティン・ガルシア・デ・ロヨラ大将率いる40名の精鋭部隊による追跡が始まる。そしてジャングルの中250km余りの距離を移動した後、ついにトゥパク・アマルは捉えられ、クスコで処刑されることとなる。
このようにしてインカの最後の統治者、そしてアンティスーヨの密林とインカの出会いは終焉を迎える。 しかし、インカの黄金の行方は未だ知れず。失われたインカの黄金と幻の密林都市は、未踏の東方ジャングルの中、伝説となり生き続けている。
皇帝はクスコで裁判にかけられ、家臣と民衆の目の前で首をはねられた。この皇帝の死によって強大なインカ帝国は滅びた。
第904回 伝説の都ビルカバンバ 封印された新インカ帝国の謎を追え! 2005/02/05(土)21:00〜 http://www..co.jp/f-hakken/mystery904_2.html