2004年はアルビレックス新潟を応援しています。
J1初参戦FC東京とのした味の素スタジアムでの観戦や第6戦ジェフユナイテッド市原との国立競技場で行われた感想など記憶に残しておきます。 皆さんはどのような交通手段で味スタまで行かれたのでしょうか。バスは最終的には個人のものも含め59台にも達したようです。60台×40人=2400人。新潟の入場者数は1万5千人にも達したといわれ、それと比較するとバスツアー参加者は少数派となることが分かる。 さてJ1初戦の開幕、選手が全員入場し、これから応援合戦が激化する。と思われたが、この試合を通じて多く歌われたのが「ニイガタレッツゴー♪♪」「俺たちの山グッチ♪♪」「慎吾GOGO♪♪」「寺川フィーゴ♪♪」と言った所こんな感じで盛り上がりつつも静かな雰囲気で試合がはじまった。 みんなJ1の初戦で応援も緊張していたのかな?しか〜し、どうも様子が変だ!そう選手も緊張しているのがスタンドから見ていても判る。だめじゃん。。 武者震い!!という気合とは裏腹に、東京の猛攻が襲い掛かる。硬い堅い固い…。新潟は、これがJ1との差なのか、何をやっても一歩遅い。新潟のラインがずるずると下がり始めたそのときから、アルビはサンドバック状態。東京は、必ずサイドの選手が一人余っている状態をキープ。そこにきっちりとボールを預け、その選手はゴール前に突進。正確なクロスにあわせる。と明確な攻撃プランに新潟は太刀打ちできない。 <そしてついに>再三のピンチがありながら奇跡的にゴールを許されなかった新潟ではあるが、ついにそのときが。サイドでタッチラインを割ったと思われたそのプレーはIN。そのままサイドを崩され。マークをうまく外した阿部がGOAL↓↓ため息が漏れる暇なく「新潟レッツゴ〜♪♪」。 さて、後半戦! 期待の8番山口は後半もグー!前半はあいまいなポディショニングと相手の激しい中盤でのプレスに合い全く仕事らしい仕事ができなかったが、後半は司令塔の位置にまで上がり、前線での基点になった。山口が前線に上がり、中央でためを作り、そこから出るボールからチャンス、それもビッグなチャンスが生まれていたのは紛れもない事実。船越と交代したその直後から、それまで組み立てある攻めができていたのに、まったく繋がらないサッカーになってしまったという状況からも分かる。 慎吾と山口とのワンツーで前線に飛び出したシーンやシュートが相手にあたりコースが変わりゴールになりそうなシーンには震えた。 しかし結果は、0x1のまま終了。J1との差か力みすぎを感じた初戦はこうして終わった。