60年代には多くの偉大なドライバーたちがここで勝利している。1961年、スターリング・モスは彼にとって最後のレースで優勝を飾り、ジャッキー・スチュワートは凄まじいコンディションとなった1968年のレースで4分ものアドヴァンテージを築いて勝利した。スチュワートがコースの安全性について訴えたために1970年にはバリアが設置され、コース幅も拡張された。
ニキ・ラウダがアクシデントによって致命的な大火災に巻き込まれたため、1976年からニュルブルクリンクでのグランプリ開催は中止された。しかし、1984年にまったく別のサーキットとしてカレンダーに復帰。旧コースの脇に建設された新コースは、興味深いコーナーがわずかしかない全長4.541kmのサーキットで、1986年には再び改修を受けて全長4.556kmとなった。
1995年のレースは素晴らしいものの1つに含まれるだろう。ベネトンのミハエル・シューマッハが残りわずか3周のところでジャン・アレジのフェラーリをオーバーテイク、勝利を獲得したのだ。1996年にはジャック・ヴィルヌーヴがF1初勝利をこのニュルブルクリンクで達成した。
ミハエル・シューマッハにとって1997年のレースは忘れることができないものになった。彼の弟であるラルフ・シューマッハがミハエルに接触、兄はリタイアへと追いやられた。また、そのレースではマクラーレン・メルセデスの2台がまったく同じラップでエンジンブロー、ジャック・ヴィルヌーヴが2年連続で優勝を果たした。
1999年は雨に翻弄されたレースとなり、すべてのドライバーの中で最も落ち着いた走りを見せたジョニー・ハーバートが予期せぬ勝利を手に入れた。
「プレイステーション 2」専用ソフトウェア『グランツーリスモ4』
「ニュルブルクリンク北コース」について
1992年頃・・・『グランツーリスモ』を作り始めたとき・・・ニュルブルクリンク北コース(ノルドシュライフェ)は私たちにとって、はるか遠くに燦然と輝く、憧れの土地でした。
日本の自動車メーカーが彼の地でスポーツカーの開発に挑戦し始めたことによって、1927年に作られた、全長20.8キロ、大小176ものコーナーを持つ世界一過酷なサーキットの名声は、メディアを通じて私たちのもとにも入って来ていました。
R32GT−Rが挑み、NSX が格闘したニュルブルクリンク北コース。いつかは『グランツーリスモ』に収録したいと思っていた夢のコースでした。ただ、ニュルブルクリンクの収録のためには、乗り越えなければならない壁がいくつもあったのです。
このコースにおけるタイムアタックを自動車メーカー各社が血道をあげて競っている以上、『グランツーリスモ』の自動車挙動プログラムにも、それ相応の高い精度がなければ収録する意味はありません。
また、全長20.8キロもの長いコースを家庭用ゲーム機の小さなメモリ上に乗せることもまた困難なハードルです。
気がつけば、『グランツーリスモ』を作り始めてから12年の歳月が経っていました。
『GT4』に至って実車とのシミュレーション誤差が十分に小さくなり、前者の問題はクリアされ、メモリの問題も徹底した省メモリ設計によってクリアできるかもしれないという目処がたったことで、ようやく今回のニュルブルクリンク北コースの収録にこぎ着けたのです。
日本のスポーツカーがニュルブルクリンクによって鍛え上げられたように、『グランツーリスモ』もまた、ニュブルクリンクによって鍛え上げられた。そんな実感があります。
『GT4』におけるニュルブルクリンク北コースでの走行体験は、今までのドライビングゲームの価値観を根底から変えてしまうほどにエキサイティングなものです。単に長いとか難しいとかいった要素以外の魅力をこのサーキットは持っています。
ニュルブルクリンク北コースが、トップドライバーたちの間で、あれほどまでに畏怖され尊敬され時には賞賛の対象になっている理由が、ようやくわかったような気がします。
ドライビングシミュレータとしての『グランツーリスモ』のベクトルの最果て、極地にこのコースはあります。
■モータースポーツ
GRAN TURISMO 4
PlayStation2
2004年
メーカー:ソニー・コンピュータエンタテインメント
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