水晶ドクロ(クリスタル・スカル)とは?1927年、中米の小国ベリーズ(当時は英国領ホンジュラス)にてイギリスの探検家フレデリック・A・ミッチェルヘジスがルバントュム遺跡を発掘中、養女のアンナが偶然にも17歳の誕生日の時に、倒壊した壁に隠されていた祭壇の下から水晶のドクロを見つけ出した。
アステカ王国の神話で死の世界を支配する神「ミクトランテクトリ」を体現 その時は取り外し可能の下顎部分が欠けていたが、三ヶ月後、わずか7m離れた場所から、同じアンナによってその部分も発見された。
この「水晶ドクロ」は、下顎部分も含めて全体が一個の大きなロッククリスタル(無色透明な石英結晶体)を加工研磨したもので、いわゆる頭部縫合線が示されてない点を除けば、あとはほぼ実物大の人間の頭蓋骨、それも恐らくは女性のを型どったと推測されるほど解剖学的に忠実に作られている。 もともとアメリカ大陸の先住民アメリンド(インディアンやインディオ)の文化と芸術にとって、人間の頭蓋骨というのは貴重なモチーフで、死を通して生命の再生を象徴するものだったらしい。スペインが中米メキシコ最後の古代アステカ帝国を侵略した時、アステカ人は小さな水晶ドクロ類を製造していた。あるいは少なくとも祖先代々神聖に継承したとされる。 現在大英博物館の人類科学別館にはミッチェルヘイジスとほぼ同じサイズで、やはり精巧な造り(下顎部分が取り外しきかない)の水晶ドクロが展示されているし、フランスのパリ人類博物館(ムセエ・ド・ロム)にもサイズが1/2の小さいもの飾られており、いずれもミッチェルヘイジス以前にメキシコから持ち帰られたものである。 しかし、一時はミッチェルヘイジスが「これはもともとアトランティスから由来したものだ」と言う彼の主張もあったせいか、文化的にも、考古学的にも極めて価値の高い「水晶ドクロ」は無視され続け、アンナの所有物として、現在でも製造年代や起源も含め科学者の本格的な分析調査を受けないままに至っている。 だが一方では、水晶の持つド独特の神秘性もあるせいか「水晶のドクロ」を巡って怪奇事件や怪奇現象の話が評判になり、1960年代後半から頃から古代史や超常現象の研究家によってさかんに研究されるようになった。 水晶ドクロを「人が手で磨くと制作に300年かかる」 「水晶のドクロ」の謎はまず非常に硬いロッドクリスタルをこれほど自在に切断して正確な頭蓋骨型に整形してのけた、高度の加工術である。 水晶は10段階のモーズ式高度基準で7ぐらい、ダイヤ、サファイヤ、ルビー、トバーズに次いで硬いので、マヤやアステカ時代に使われた銅製工具では歯が立たず、現代の鋼鉄製ポケットナイフでもほとんど引っかき傷もつけられない。といっても古代人ががダイヤなどの硬い宝石でを道具に使っていた証拠も全くない。 水晶と同じ化学構造と高度を持つ砂(二酸化珪素)で研磨すれば、整形加工は可能だが、長時間を必要とし更に仕上げの光沢だしには、古代人にも知られていた赤い顔料のペンガラで根気よく磨けば可能。これは現代でも鉄丹と呼ばれ、研磨用に使われるものである。 アステカ・カレンダーで’は、2012年12月23日で終わっている。 水晶ドクロは全世界に「全部で13個あり、それを2012年までにすべて一か所に集めないと世界が滅亡する」などのマヤ暦の伝説と言われるアステカカレンダーの迷信がある。
恐らくこの水晶ドクロは、神殿内の暗い内陣に安置されて下から照明をあて、儀式の祈りや信託の言葉に合わせて下顎を動かす。そして占星術の水晶球と同じような超常的効果を発揮しただろうし、少なくても催眠効果や集中力を高めるには大いに役立つだろう。
事実、この「水晶のドクロ」を所有者からかり受けて観察した研究家の何人かは、深夜に甲高いチャイムか金の音、猫の鳴き声あるいはひそひそ話の人声みたいな怪音が発されたとか、様々な臭いを出したとか、透明な内部が曇った虹のように色を変えたオーラを放ったりすのを見たという、色々なタイプの神秘体験の報告がある。
水晶ドクロは19世紀独製 中米マヤ、アステカ文明の遺物といわれる水晶ドクロ(クリスタル・スカル)をテーマに、日本でも公開される映画「インディ・ジョーンズ」シリーズの新作「クリスタル・スカルの王国」の封切りを記念して、パリの国立ケ・ブランリ美術館は5月から、所蔵する水晶ドクロを展示する。しかしこの所蔵品の調査の結果、19世紀のドイツ製の偽物と判明した。関係者を落胆させ、事実に驚かせている。 水晶ドクロは、実物大の人間の頭蓋骨(ずがいこつ)の形に水晶を削ったもの。同館によると、世界で12個確認されている。同館所蔵の水晶ドクロは高さ11センチ、重さ2.5キロの透明水晶製。アステカ王国の神話で死の世界を支配する神「ミクトランテクトリ」を体現したものと言い伝えられ、同館の前身の博物館に19世紀、冒険家から寄贈された。 しかし、同館が昨年研究機関に依頼した調査で、表面に機械を使用した跡が判明。ブラジル産の石を使って1867〜86年にドイツ南部の工房で制作されたとの結論となった。同館は展示で、その経緯も含めて紹介する。
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