オーパーツとして有名なピリ・レイスの地図とは?中世の時代に数多く製作されたポルトラーノ(航海地図)と呼ばれる種類の地図に属する、いわゆる「ピリ・レイス1513年地図」。
見たところ中世の稚拙な技法てせ描かれたガゼル羊皮紙製の古地図の断片は、1929年、トルコの古都イスタンブールのトプカピ旧宮殿内の保管棚から、埃まみれの状態で発見された。右半分は既に消失しているが、専門家の鑑定の結果、16世紀オスマン=トルコ帝国時代の海軍提督ピリ・ハジ・ムメド(レイスは提督の意)が、1513年に作成したものと判明した。 問題はそこに書かれた大陸の地図である。明らかに大西洋をはさんで右側にアフリカ大陸の西端の一部、左側に南北両アメリカ大陸の東海岸線、更によく見ると地図の下端に、南極大陸の北岸の一部の輪郭が記されている。 作成当時はコロンブスのアメリカ大陸到達後20年ほどしか経っておらず、これらの海岸線の大半がまだ完全に未知だったはずである。中南米は発見されたばかりで、まだろくに探索もされてなかったし、南極大陸に至っては発見が1818年、全地形の地図化成功が1920年である。 といって海岸線は決してでたらめではなく、偶然の一致では全く説明できないほど正確に描かれている。その事実を最初にはっきり確認したのは、アメリカ海軍水路部の海図専門家アーリントン・マレリー大佐であった。 彼は第二次世界大戦中に海軍が作戦上の必要からエジプトのカイロを基点として製作した「正距方位図法」による世界地図が「ピリ・レイスの地図」に描かれた陸地の位置や形とよく似ていることに強く興味を引かれた。この投影図法で作られた地図は主に航空用として使われ、距離と方位は正確だが、地形は中心から離れるほど歪んでいる。そのひずみ方がそっくりなのである。 更にマレリーは1950年代後半、国際地球観測年以後の地震波探査で初めて得られた氷の下の真の南極大陸地図形と、この地図の南極大陸北岸の輪郭が細部までよく一致することを突き止めて偶然の一致ではないという確信をますます深めた。
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